脱社会人のススメ

ほったらかしにしたままかなり長い年月が過ぎてしまいましたが,結婚後一緒に住み始めたり結婚式を挙げたりいろんなことがありました。

 

金銭的な意味とはまた違った,生活の豊かさをひしひしと感じている次第でございます。同居人が片付けの匠のような人で,部屋全体がひとつの寝床のようになっていた僕のワンルームがきちんと「生活空間」へと作り替えられ,解体途中のビルのようなありさまだった僕のコレクションたちもきれいに整理され新しい本棚の中で光り輝いております。

あと二か月もないであろうこの部屋での生活を,もう少しだけ楽しんでいこうと思います。

 

正月に弟と話をしました。弟は現在大学の四年生で,この春から就職します。

世の中にあふれる「社会」に関する様々な殺し文句で,弟はとても不安そうな顔しておりました。というか「社会人にならなくてはならないこと」に対して半分ブチ切れておりました。なんでそんな理不尽な場所に放り込まれなくてはならないのか,と。

 

僕は「社会人」という言葉がそもそも間違っていると思うのです。英語には「社会人」に相当する言葉はないそうです。日本人,アメリカ人,地球人,ベルン星人,のように,○○人,という呼称はその場所への帰属を意味すると思うのですが,「社会」は概念であって場所ではありません。しかし全体主義的風潮の中で,社会と個人の立場が逆転してしまっているのは見てのとおりです。

 

僕は自分を「社会人」だと考えることを昨年やめました。働いていますが,「社会人」という言葉で自分のアイデンティティの隙間を埋めることから卒業しました(脱落しました?)そもそも「社会」とかいう正体不明の概念のために,働く意欲なんてわくわけがないのです。もともとは個々人のばらばらな労働欲求の複雑な絡み合いが社会を構成しているはずなのです。「社会を構成するために働く」「社会の構成員になる」というのはいつのまにか入り口と出口がねじれてつながってしまっているような気がしてならない。

 

幸い,僕の仕事はお金の流れが見えない仕事です。働いた分だけ給料になったり,売り上げがいくらだ,貢献度が何パーセントだ,と数字で表されたりすることがありません。

僕は目の前の子どものために仕事をし,自分の知的欲求を満たすために仕事をしています。

 

ひょっとしたら子ども染みた,青い考えなのかもしれませんが,「社会人」という何者かによって作り上げられた即席のアイデンティティを捨て去ることで,僕の心は幾分か自由が利くようになった気がします。その分,「うまくいかなかった」という体験のつらさは、社会というクッションが挟まらない分,よりダイレクトに感じるようになってしまったのですが…

それでも手ごたえと充実感が完全に自分のものになったというような気がします。

 

もし僕が間違っているとしたら,誰かに早めに指摘していただきたいものです。

 

弟にはとりあえず四月までモンハンワールドをやりこんどけと伝えました。